少林寺拳法の目的と基本的な考え方
少林寺拳法は、1947(昭和22)年に開祖 宗道臣(以下、開祖と呼びます)によって、香川県の多度津で創始されました。開祖は、1945(昭和20)年の太平洋戦争の敗戦時に中国の東北地方(当時は満州と呼んでいました)に居ましたが、その時の引き上げの体験や戦後の混乱期の人心の荒廃に心を痛め、日本の復興に力を尽くそうと決意します。
開祖は、中国で拳法の道統を継承していました。また、それまでの体験で、平和で健全な社会を作るためには、国家体制の改革もさることながら、その国に住む一人ひとりの人間の質を高めるしかないことを痛感していました。つまり、人間が極限状態に置かれたとき、そこで問われるのは、社会的な地位でも肩書でもない、その人自身の「人としての在り方」であると考えたのです。そこで、中国で学んだ拳法に自身の創意工夫を加えたものを「少林寺拳法」と名付け、それを教えながら、自ら進んで自己を高めるとともに、他者と連帯して社会変革に関与しようとする意欲を持った青少年の育成を始めます。ですから、少林寺拳法を学ぶことは、単に格闘技としての技術を学ぶことにあるのではなく、学ぶことを手段として、社会に寄与しようとする人間を育成することが目的となります。 少林寺拳法では、相手を倒すことを強さと考えません。自分の強さは、社会を良くするために使われて初めて正しい強さであると考えます。人生において勝ったり負けたりといったことは何度も経験することで、いわば普通のことです。ですが、その時に自分は勝ったのだから偉いんだとか自分は負けたからダメなんだとか、人と比較して優劣を考えるのではなく、どんな時でも自分はダメだと思わずに、何度でも人生の課題に立ち向かう勇気と行動力を持った自分自身をつくりあげることが大切になります。この「よりどころとなる自分」が本当の強さであり、このことを少林寺拳法では「自己確立」と呼んでいます。また、それは過剰な精神論や根性論とは異なり、客観的に自分自身を見つめることを前提にしたものです。 また、人が自分のことを一番大切にするのは当然ですが、人は自分一人で生きているのではありません。それぞれが自分の社会的役割を果たしながら、多くの人と互いに支えあうことで社会は成り立っています。ですから、「よりどころとなる自分」を作るべく努力しつつ、同じ志を持つ仲間と連帯して他者(社会)のために何ができるかを常に考える必要があるのです。つまり、「確立した自己」は自分のためだけに用いるのではなく、他者(社会)のためにも用いなくてはなりません。そして、お互いが支えあうことで喜びを分かち合う平和な社会を作り上げていく必要があるのです。ただ、それは、何でもかんでも無批判に周囲や社会に同調させようとする全体主義的な発想ではありません。あくまで、「良き個人」として行動することが大切で、そのうえで、お互いが「良き隣人」として楽しみや喜びを共有することを求めているのです。このことを少林寺拳法では「自他共楽」と呼んでいます。 このように、少林寺拳法を学ぶときには、常に「自己確立」と「自他共楽」という二つの目的を意識して日々修練する必要があるのです。 少林寺拳法の6つの特色
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自己確立
少林寺拳法を学ぶのは、単に自分だけが強くなるためではありません。
練習することを通じて、自信と勇気と行動力を身につけ、思いやり(慈悲心)と正義感を持った人間になることが目的です。 そういう人間になるために自分を高めていくことを「自己確立」と呼んでいます。 自他共楽
人が困ったり苦しんだりしていれば、見過ごさないで助けてあげる。人が喜んでいたら自分も嬉しいと感じる。そんな生き方を「自他共楽」と言います。
少林寺拳法の創始者である開祖 宗道臣は「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを」という言葉でそれを表現しました。 目指す人間像
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